麻雀散歩

一昔前迄と異なり昨今は広く市民権を得た麻雀
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日本プロ麻雀協会について

【麻雀団体紹介】日本プロ麻雀協会について

日本プロ麻雀協会は、2001年に土井泰昭(2024年現在は全日本麻雀協会代表)により設立された競技麻雀のプロ団体として知られています。2010年に正式に法人化され、現在は五十嵐毅が代表を務めています。比較的新鋭の麻雀団体なのですが、2024年現在で実質業界ナンバー2の勢力を誇っており、多くのプロ雀士が所属しています。この記事では日本プロ麻雀協会について解説していきたいと思います。 日本プロ麻雀協会の特徴日本プロ麻雀協会は「麻雀の素晴らしさを全世界に広めること。そして、文化としての麻雀が持つ価値を高め、人類の文化全体を豊かにすること」という壮大な使命を掲げ、日々その使命遂行に向けて活動を続けています。今でこそ、麻雀の社会的地位が高まってきてはいますが、以前は「麻雀」=「ギャンブル」という、比較的低い地位でした。「日本プロ麻雀協会」をはじめとする、麻雀の本来の価値を知る人たちの活躍のお陰で、今ではメディアにおける競技としての麻雀の認知度が高まってきています。しかし現状に決して満足することなく、常に「業界に新風を巻き起こす」ことをモットーに、日々活動を続けています。 よく「日本プロ麻雀連盟」と名前が似ていることから間違われることが多いのですが、全く別の団体です。ただ、お互いに非常に仲が良いことで知られており、交流機会が多いだけでなく、双方のどちらかに批判的な記事が出された時に、もう片方が一緒に戦う姿勢を見せるなどの関係を築いています。またアマチュアの実力者が集うセガから出されているオンラインゲーム「MJシリーズ」を公認していたり、またルール面においても役満同士の複合を認めていたり、中国麻雀のルールを採用した大会を実施していることでも知られており、柔軟な姿勢を見せている点も大きな特徴の団体と言えます。 日本プロ麻雀協会の主な所属雀士ここからは日本プロ麻雀協会における、主な所属雀士を紹介させて頂きます。1.仲林圭(雀王)中学の時に通っていた塾の先生の影響で麻雀に出会い、のめりこむようにハマっていったのが最初のスタートと言われています。麻雀で鍛えた頭脳のお陰か、早稲田大学理工学部コンピュータ・ネットワーク工学科に進学するも、大学で2年留年し、その後実家を出た後は雀荘で働く生活に突入しました。そんな生活をしていたら、吉田光太から「龍を継ぐもの」と指名を受け、日本プロ麻雀協会に入会し、2012年にAリーガーとして名を連ねるとともに、雀竜位を獲得。2017年には初の雀王決定戦に進出を果たし、見事3位入賞を果たしました。2019年には麻雀最強戦前日本プロ代表として優勝し、ファイナルシリーズへ進出を果たしました。その後、順調にキャリアを積み上げる中で、2022年には發王位を獲得すると共に、同年にMリーグ・U‐NEXT Piratesから2位指名を受けました。そして、2023年11月12日、第22期雀王の位を獲得し、初の雀王のタイトルホルダーとなりました。攻守ともに隙がないスタイルで知られており、運否天賦だけでは勝つことができない日本を代表する雀士の一人と言えます。 2.逢川恵夢(女流雀王)2024年現在、日本プロ麻雀協会における女流の雀王の称号を持つのが、逢川恵夢です。同協会が認可している「セガネットワーク対戦麻雀MJ」がきっかけで麻雀に触れ始めたのがきっかけとされており、雀荘でのアルバイト経験、また麻雀漫画「打姫オバカミーコ」を通して、プロを目指すことを決意。なんと、麻雀習得後の2年後である2011年には日本プロ麻雀協会の第10期前期生として見事プロ雀士となりました。プロ入り直後、第10期の新人王戦で見事優勝を果たし、既に底知れない実力の片鱗を見せており、2014年には夕刊フジ杯雀女王決定戦において、個人戦で準決勝まで進出し、残念ながら決勝卓には残れなかったものの、麻雀習得後僅かとは思えないほどの高い実力を示していました。その後、チャンピオンロード雀王シリーズや、夕刊フジ杯麻雀女王決定戦などで好成績を残し、着実にキャリアを積み上げる中で、遂に2018年日本プロ麻雀協会における女流リーグで、当時2連覇中であった朝倉ゆかりを下して、第17期女流雀王のタイトルを獲得しました。その翌年の2019年、続いて2020年において、競技麻雀団体の元タイトルホルダーが集う四神光輪女流王座決定戦に出場し、見事2年連続で優勝を果たして、その実力と地位を確固たるものにしており、現在に至っています。 3.安藤弘樹(雀竜位)2017年第16期前期に日本プロ麻雀協会のプロ雀士として認められました。プロになった比較的短いにも関わらず、昨年2023年に開催された「第21期雀竜位決定戦」において、ディフェンディングチャンピオンである吉田知弘や、A級1位の実力者掘慎吾、A級3位の小池ハヤト、A級4位の江崎文郎を僅か1時間という極めて短時間で破り、見事、「雀龍王」の称号を初戴冠し、その名を麻雀界に轟かせました。その闘いの一部始終を見た記者は「安藤弘樹が強かった、強すぎた」、「リードしたあとはまったく隙がなかった」と評しており、今後麻雀界のトップランナーとして名を馳せることが期待されている雀士です。 4.晃平(新人王)2018年に日本プロ麻雀協会に入会し、プロの雀士としてのキャリアをスタートさせました。東大卒ということで、プロの雀士になる人間はやはり高学歴(もしくは有名大学を中退)であることが多いな、という声を更に高めるのに一役買っている人物でもあります。ボクサーとしての経歴も持っており、色々と異例な雀士ではありますが、日本プロ麻雀協会における最新の新人王戦では、一見雑にも見える、少し特殊な打ち筋で、押し引きをコントロールする中で、見事新人王のタイトルを獲得しました。今後に期待の若手のホープの1人として数えられています。 主なタイトル戦や公式戦について日本プロ麻雀協会では、多くのタイトル戦、公式戦を実施しています。ここにその主なものを列記していきます。 1.本部・雀王戦・雀竜位戦・女流雀王戦・新人王戦・日本オープン・オータムCS・チャンピオンロード・fuzzカップ・電風戦 2.関西・関西雀王戦・協会関西プロアマ・関西チャンピオンシップ・関西女流スプリント・NPMウエスタンカップ 3.その他の大会・東北チャンピオンシップ・協会東北プロアマ・協会宮崎プロアマ・宮崎天照戦 非常に多くのタイトル戦、公式戦がある事が分かります。これらの場を土壌に、日々プロ雀士が切磋琢磨してその実力を磨き、麻雀界の未来を切り開いているのです。

  • 麻雀Tips
  • 2024年03月27日
雀鬼流と雀鬼会!麻雀の世界を越えて様々な人に影響を与えた理由とは?

雀鬼流と雀鬼会!麻雀の世界を越えて様々な人に影響を与えた理由とは?

雀鬼流は20年間麻雀の代打ちを務め、無敗のまま現役を終えたことから「雀鬼」と呼ばれた桜井章一氏独自の麻雀の打ち方です。哲学や美学を感じる独自のルールを設けていて、桜井章一氏の元でその麻雀の打ち方を実践するのが雀鬼会になります。その独自の美学に魅了されて影響を受ける著名人も多く、全く異なる分野で活動をしながら雀鬼流の考え方を取り入れるケースも珍しくありません。様々な事情からプロリーグなどからは遠ざかっているものの、今も影響を受ける人が多いのが雀鬼流であり、雀鬼会なのです。 可能な限り早く打つなど特徴的な打ち方をするのが雀鬼流雀鬼流の大きな特徴は、麻雀を打つ際に長く考えることを良しとしないことです。麻雀は様々な牌の組み合わせで役を作りつつ、他のプレイヤーがどのような役を作っているか読みあうなど、様々なことを考える必要があります。情報が多ければ多いほど、自分の手番が回ってきたときに考えるべきことが増え、どうしても長く考えてしまいがちです。しかし、雀鬼流では1秒から4秒ぐらいで打ち続け、リズムよく自分の手番を回すことを重視しています。自分の手番で長く考えてしまうと、ゲームのテンポが悪くなるだけでなく、他のプレイヤーを待たせてしまうことが良くないと考えるからです。他にも、手堅い一方で麻雀の奥深さを損なってしまうプレイを一部禁止、他の人が捨てた牌であがるロンよりも、自力で引いた牌であがるツモを重視するなど、独自のルールも特徴です。雀鬼会では雀鬼流のルールに反する打ち方をするとペナルティが課され、公式戦ではどれだけゲーム上で高い点数をとってもペナルティを受けていないものに負けたと判断されます。ルール全般を見ると、麻雀を長考の結果や安全性を重視して勝ち取るものではなく、直感や閃きも重視し、人を退屈させないような魅力的なプレイをすることが雀鬼流の根底にあると言えます。リスクを背負っても、自分を信じ、チャンスを掴んでいく麻雀を打っていくからこそ、雀鬼流や雀鬼会に魅力を感じる人が多いのです。 雀鬼会は様々な分野の人に影響を与えた雀鬼流の麻雀のルールはただ勝つだけでなく、勝つ過程や勝ち方にもこだわる姿勢が色濃く出ています。また、その雀鬼流を生み出し、20年間無敗を貫いた桜井氏に憧れ、雀鬼会に所属した著名人も多くいます。麻雀界では日本プロ麻雀連盟副会長で、不利な状況化でも攻撃的な戦術をとることで有名な伊藤優孝氏、最高位戦日本プロ麻雀協会所属で解説者とも知られる土田浩翔氏は雀鬼会を破門されたものの、自身のYouTubeチャンネルを開設するなど積極的に情報発信を行っています。麻雀ライターの馬場裕一氏、漫画家で麻雀漫画を数多く発表している片山まさゆき氏も雀鬼会に所属していました。サーバーエージェント社長の藤田晋氏、日本初の将棋棋士であり麻雀プロ二つの資格を持つ鈴木大介氏も雀鬼会出身です。雀鬼会・雀鬼流で学んだことを異分野で生かす人材も多いだけでなく、近代麻雀ゴールド誌では1987年から2005年に休刊になるまで、雀鬼会と桜井氏の記事や漫画が多数掲載されていました。雀鬼会に在籍していなくても、雑誌や漫画、桜井氏の著書から影響を受けた人物はさらに多く、今も麻雀界隈で話題に上ることがあるのです。雀鬼会に所属していた雀士がプロリーグや退会に参加することなどは減ったものの、一時代を築いたという事実は残り続けています。 現在の雀鬼流・雀鬼会とプロリーグの関わり雀鬼会出身の雀士は様々な麻雀大会で優勝するなど、大きな活躍を見せています。竹書房主催の麻雀最強戦では1980年末~1990年代に複数人が優勝、その後10年以上不参加になったものの、2010年代に入ってからも二人が優勝しています。麻雀界隈に大きな影響を与えた雀鬼流・雀鬼会ですが、創設者の桜井氏はMリーグに代表されるプロリーグからは若干距離を置く発言をしている状態です。2019年の朝日新聞社のインタビューでは、見る麻雀の何が面白いのかといった趣旨の発言をしています。大企業・大資本が資金を投入し、エンターテイメントとして盛り上げられていく麻雀と、自身が行っていた麻雀の違いに時代の変化を感じているからです。そして、本質的には人間は経済とお金とも発言しており、本質は変わっていないということにも触れています。麻雀のプロリーグであるMリーグは、雀鬼会出身でサイバーエージェント社長の藤田氏が企業チーム「渋谷ABEMAS」を率いてチェアマンと参加していて、同じく雀鬼会出身の土田氏も公式解説者となっているなど大きくかかわっています。日本初の麻雀のプロリーグであるMリーグは、最低400万円の年俸契約で選手と契約し、チームで勝敗を争うのが特徴です。プロの真剣勝負の他に有名タレントが麻雀に取り組む姿なども撮影されていて、麻雀ファンのすそ野を広げることに成功しています。チーム戦になるため最終的にどのチームが優勝するのかといった見どころもある一方で、雀鬼流を生んだ桜井氏の視点は面白い、参加したいといった感情とは別の所を見ているのです。過去に公開されていた雀鬼会のオフィシャルサイトは今はサーバーが機能していない状態であり、現在どのような活動をしているかわからない状態になっています。今後雀鬼会が再び活発に動いて麻雀界に影響を与えるのか、あくまで桜井氏と雀鬼会出身者が麻雀界を動かしていくことになるのかは注目したいところになっています。 活発な活動が見えなくても雀鬼流・雀鬼会が麻雀界隈に与えた影響は大きい雀鬼流を雀鬼会で学んだ麻雀関係者や著名人は多く、今の麻雀界の成り立ちにも大きな影響を与えています。活発に活動しているように見えなくても人材が活躍していることは確かで、桜井氏の今後などにも注目が集まります。プロリーグや麻雀界隈を知っていく上で、雀鬼流・雀鬼会は外せないキーワードになっているのです。

  • 麻雀Tips
  • 2024年03月21日
麻雀団体「RMU」について

【麻雀団体紹介】麻雀団体「RMU」について

麻雀団体の一つであるRMUは、2007年6月と比較的近年に設立された競技麻雀を推進するプロ団体として知られています。RMUは「Real Mahjong Unit」の略とされており、「真の麻雀プロを作る」という理念を現わしています。土田浩翔、阿部孝則、多井隆晴、河野高志、古久根英孝という名だたるプロが集結し設立、そして同団体の理念実現に向けて、現在まで活動を続けていますが、設立から約3年後に中心メンバーであった土田と古久根が離脱したことにより、運営方針が当初とは少しずつ変化しています。 団体設立の際の趣意麻雀愛好家が日本に多くなってきている傍ら、麻雀競技者の社会的地位、経済的環境が良くなっていかない現状を憂い、その状況を打破するために日々活動を続けています。主に、競技麻雀の認知の拡大、競技麻雀愛好者の拡大、またタイトル戦の賞金も含めた運営面における経済問題を打破するため、賞金を提供するスポンサーの拡大、麻雀の実力と共に社会的に尊敬される品格を兼ね揃えたプロ雀士の育成、これらの目標を達成する為に、RMUは立ち上げられました。 主な所属雀士RMUではプロライセンスを取得した雀士にランクを与えています。トップランクであるSSS級にはじまり、SS級、S級、A級、B級と区分けしており、トップのSSS級は2024年現在1名のみ、SS級は5名と、選ばれし実力者のみがそこに籍を置くことができます。ここではトップクラスの雀士数名にスポットライト当てていきたいと思います。 SSS級1.多井隆晴多井隆晴はRMU唯一のSSS級に所属している、団体最強の雀士として知られています。「最速最強」、「麻雀星人」などの異名で呼ばれており、RMUリーグ覇者に与えられる令昭位を1期、3期、6期、8期、11期に獲得していたり、トッププロの祭典であるMリーグにおいても2018年には個人スコア1位、Mリーグ4着回避率1位、Mリーグ2022年においてはチーム優勝を果たしています。また麻雀最強戦2020年では最強位を獲得するなど、まさにSSS級に恥じない実力を兼ね揃えています。その実力は幼少期から鍛え上げられたもので、5歳には麻雀のルールを覚え、10歳時には牌効率をほぼ全てマスターしていたという末恐ろしい実力を示していた様です。麻雀で鍛え上げられた結果なのか、高卒で証券会社に入社を果たして、順風満帆な人生を歩んでいた矢先、20歳時に転機が訪れます。その頃見学したプロ雀士の試合がとても刺激的で、それがきっかけとなりプロ入りを決意し、その3年後1995年、23歳にして日本プロ麻雀連盟のプロテストに合格を果たしました。第12期生としてのプロデビューでしたが、当初は証券会社で働きながらの両立した活動を行っていました。しかし、バブル終焉の到来と共に、近未来において麻雀が社会的に拡大して注目されるようになると予見すると共に、その時代のトップになる事を決意し、26歳時には証券会社を退社して、プロ雀士一本で歩んでいくことを決意しました。1997年に新人王を獲得し、日本プロ麻雀連盟のトップリーグであるA1リーグには2003年に昇級するというスピード出世を果たして、同連盟におけるキャリアを積み上げていましたが、2006年に退会し、現在のRMUの創設に尽力し、2007年から代表へ就任して、現在に至ります。麻雀界における最強雀士の1人として数えられる屈指の実力者と言えます。 SS級ここではSS級の雀士を紹介します。RMUにおけるSS級は5名存在しており、SSS級の多井に匹敵する実力者揃いとなっています。 ⒈ 松ヶ瀬隆弥プロ入会は2009年と比較的浅いですが、令昭位の9期を獲得している実力者です。「繊細なる巨砲」という異名を持っており、2021年からはMリーグのドラフトも受けています。元々は料理人で(株)モンテローザの店長などの役で活躍していましたが、2009年に退社してプロの雀士になる決意をして、片っ端からプロテストを受けていたら、RMUの代表である多井隆晴にその実力を見出され、面接の翌日のリーグ戦に参加し合格を勝ち取りました。同団体の当時における最高リーグであるR1リーグに3年で上り詰めて、まさかのクライマックスリーグを優勝するという快挙を果たし、B級ライセンスを取得。その後順調にキャリアを積み上げ、2018年にA級、2022年にはSS級ライセンス保持者として現在に至っています。 2.谷井茂文2004年から最高位日本プロ麻雀協会からプロキャリアをスタートするも、思う様に成績を残せず2007年にRMUに移籍し、2010年にはR1リーグを優勝し、RMUリーグ(現在の令昭位戦Aリーグ)に昇格し、スプリントファイナル優勝、2012年には初のRMUリーグ優勝、その後も2018年、2024年にリーグ優勝を果たし、SS級に相応しい実力を内外に示しています。 3.阿部孝則RMUの立ち上げメンバーの1人として数えられている。かつて日本プロ麻雀連盟に所属して、鳳凰戦を2002年から三連覇を果たすなど、当初から高い実力を示していました。2006年に同連盟を脱退し、現在に至ります。「寡黙な王者」という異名でも知られており、オーソドックスなスタイルで着実にポイントを獲得していくスタイルで、多くのタイトルを獲得したRMUを代表する実力者の1人と言えます。 4.河野高志RMU設立に尽力した1人として数えられており、かつては日本プロ麻雀連盟に所属して、十段戦三連覇、麻雀マスターズ連覇などの快挙を達成している実力者です。RMU所属後も、RMUクラウンを連覇するなど、その力を内外に示しています。雀風としては門前重視で、攻めにウェイトを置いたプレイスタイルで知られており、そのスタイルから異名は「ストリートファイター」と言われています。 5.楢原和人RMUに所属する前は第10期アマ最高位戦を優勝するなど、麻雀界ではそれなりに名が知られていましたが、2015年にRMU入会後、Aリーグ初参戦にして初優勝、第14期の令昭位を戴冠したことで「怪物」という異名で呼ばれるようになりました。攻めの姿勢で知られており、YouTubeでも楢原に関するプレー動画が多く露出するなど、近年人気が急上昇している雀士の1人として知られています。その実力は他のSS級所属の雀士に勝るとも劣らず、今後の活躍に大きな期待が持てる雀士と言えるでしょう。

  • 麻雀Tips
  • 2024年03月15日

【麻雀人物伝】北の雄と呼ばれた雀鬼!畑正憲(はた まさのり)の麻雀エピソード

冒頭のタイトルで強い違和感を覚えた人は、麻雀にあまり詳しくない人かもしれません。 ムツゴロウ王国など動物の大好きなおじさんというイメージが強いムツゴロウさんこと畑正憲は、麻雀と全く縁のない雰囲気を醸し出しています。 いつもにこやかに動物と戯れる姿や東大出身のインテリという経歴と麻雀とはつながりが薄く感じられるでしょう。 しかし、畑正憲の別の顔は雀鬼、つまり麻雀の雀士としても一流の存在として、日本の麻雀界に大きな功績を残してきた一大人物でもあります。 今回はムツゴロウさんこと畑正憲の麻雀エピソードについて解説しましょう。 畑正憲と麻雀との出会い 畑正憲は1935年(昭和10年)福岡県福岡市で生まれたのち、大分県に引っ越して地元の名門校を優秀な成績で卒業、東京大学理学部に進学して大学院で動物学を修めた人物です。 さらに卒業後は学研に入社して教材制作をしていたという経歴から、どことなくアウトローの多い印象の麻雀界では異色の存在と言えるでしょう。 そんな畑正憲が麻雀と出会ったのは、意外にも大分県にいた頃です。 当時高校2年生だった畑正憲は、兄に麻雀の手ほどきを受けました。 この時からすでに動物への興味と共に麻雀への興味も沸き起こり、その後の人生を左右するまでになっていったのです。 学生時代には徹夜麻雀も行うようになりました。 この徹夜麻雀は、のちに畑正憲の得意分野となり、ムツゴロウ王国では誰かが倒れるまで麻雀を打つことがよくあったようです。 徹夜麻雀は徐々に睡魔や疲労で判断力が鈍っていき、正確な麻雀を打てなくなることがしばしばです。 しかし、畑正憲はそういった環境下でも正確な麻雀を打ち続けることができたことから、いかにタフな雀士であるか分かるでしょう。 ただ、単に麻雀を趣味としていたのではなく、心の支えでもあったようです。 畑正憲は、長年の無理がたたったのか、若干39歳にして胃がんにかかってしまいます。 その際、胃を全摘出するほど重度のがんだったようで、さすがにいつ再発するか分からないという恐怖や不安と向き合っていたようです。 しかし、その恐怖や不安を打ち破ったのが麻雀です。 麻雀を打ち続けていると恐怖や不安が和らぎ、麻雀に没頭することでがんサバイバーが持っている恐怖を緩和し、前向きに生きる活力を与えられたと言われています。 その没頭は異常ともいえるもので、当時は10日間不眠不休で麻雀を打ち続けたとも証言しています。 もともと集中力も高く、東大に行くほどの頭脳の持ち主だった畑正憲が麻雀にのめり込んだことで、その実力は途方もないものへと消化していきました。 畑正憲の実力は? 畑正憲の麻雀の実力は、一般的な雀士をはるかに凌駕しています。 単にタレントとして、たしなみ程度に麻雀を打っているというわけでなく、プロ雀士としても生計を立てられたのではというレベルです。 さらに雀鬼と呼ばれるような雀士すら超える実力であったと言え、勝利したタイトル、打ち負かした雀士、麻雀界に与えた影響から、その実力が垣間見えます。 まず、畑正憲が獲得した主なタイトルを挙げていきましょう。 九段(日本プロ麻雀連盟) 日本プロ麻雀連盟は日本の麻雀競技団体でも最大の規模を誇ります。 ここで最高位の九段を取得していることから、この時点で一般的なプロ雀士よりもレベルが高い雀士であることが分かるはずです。 なお、この認定には「入団テストを実施するよう提案したとき、自分もそれを受けて九段の人間に圧勝し、九段と認定された。」というエピソードがあります。 簡単に倒したような表現をしていますが、九段クラスの雀士に対して一般の雀士はまず勝てません。 ましてや趣味レベルでは不可能といえ、既に畑正憲はプロ雀士を優に超える実力を持っていたことがうかがえるエピソードです。 十段戦3回優勝 十段戦は、九段の雀士が集まって一番強い相手は誰かを決定するために創設されたものです。 もともと連盟では九段が最高位であり、それを超える十段は誰かという畑正憲自身のアイデアがもととなって創設され、現在でも同連盟最高のタイトル戦の一つとして開催されています。 このタイトル戦で3回優勝していることから、プロとしても十分な実力を持っているといえるでしょう。 雀魔王戦連覇 雀魔王戦は日刊ゲンダイの主催で行われていたタイトルです。 不眠不休で半荘(ハンチャン)50回を打ち続けるタイトル戦で、簡単に言えば麻雀50ゲームを繰り返す非常に過酷な麻雀として文字通り徹夜麻雀のような展開です。 ここでも畑正憲は連覇するなど、そのタフさは折り紙付きと言えます。 さらに70歳を超えたのちも日本プロ麻雀連盟主催 第一回麻雀トライアスロン・雀豪決定戦に出場し、決勝卓まで生き残るという健在ぶりを示しています。 畑正憲は多くのプロ雀士を打倒してきたことでも知られている人物です。 実はその中の一人に雀聖と呼ばれた、あの阿佐田哲也も含まれており、生涯に何度か対戦して全て料理するという信じられない記録を打ち立てています。 さらにその阿佐田哲也は、その実力を的確に評価し雀鬼ベストテンに畑正憲を記載します。 さらに「北海の雄」という冠名を文中で与えていることから、いかに畑正憲が相当な実力者であったかが分かるはずです。 このように動物好きの人気タレントという顔とは裏腹に雀鬼としての畑正憲は、麻雀界にも貢献します。 その知名度を生かして麻雀に関する著書を執筆し、麻雀の認知度拡大に貢献したほか、先ほど紹介したタイトルを含めて次のような功績を残しました。 ・昭和麻雀十傑の創設 ・十段戦の創設 ・タイトル戦「最高位戦」の創設 有名雀士でさえ、この1つでも一生涯に残せれば一流といえるような麻雀界で3つも残した功績は、プレイヤー(雀士)としての畑正憲のほかに麻雀界の功労者という一面もあります。 畑正憲のプレイスタイルは? 畑正憲のプレイスタイルは、ち密に計算されたプレイのようです。 もともと頭脳明晰の畑正憲は、常に計算をしたうえでプレイしていたようで、役満をよく和了することが証言されています。 また、地和で国士無双を和了するなど驚異的なこともやってのける器用さを兼ね備えていました。 さらに繰り返しになるものの、とにかくタフなプレイを得意とし、徹夜麻雀を繰り返し行うなど長丁場に強い人物と言えます。 なお、プレイスタイルとは異なりますが、動物好きおじさんのイメージを損ねる可能性があったことから、テレビの麻雀対局にはほとんど出場したことはありませんでした。

  • 麻雀Tips
  • 2024年03月11日

プロ麻雀Mリーグについて:M.LEAGUE(Mリーグ)とはどんなリーグなのか?

プロスポーツの世界には様々なリーグがあります。 日本の場合、古くはサッカーのJリーグを始め、現代ではバスケットボールのBリーグ、バレーボールのVリーグ、卓球のTリーグなど多くのリーグが設立されリーグ戦を展開しています。 実は同じプロであるプロ麻雀にもリーグ戦があり、Mリーグと呼ばれていることは意外に知られていません。 そこで今回は、Mリーグについてどのようなリーグなのかを紹介しましょう。 Mリーグについて Mリーグは、2018年に誕生したプロ麻雀のチーム対抗戦リーグのことです。 麻雀をプロスポーツの一つとして認知してもらうことを目的に、AbemaTVで有名なサイバーエージェント社長の藤田晋をチェアマンに迎えて発足しました。 顧問としてJリーグ初代チェアマンの川淵三郎を据えるなど、本格的な麻雀のプロリーグ化を目指した団体です。 麻雀の持つネガティブなイメージを払しょくすることも役割として挙げられ、所属選手(雀士)に最低年俸として400万円を保証する代わりに賭博行為への関与を固く禁止していることも特徴です。 この禁止宣言は、ゼロギャンブル宣言と呼ばれています。 もともとMリーグは、先ほども触れたように多くの人々が健全な麻雀を楽しめる環境づくりを理念の1つとしていますが、その実現の一環として行っているのがゼロギャンブル宣言です。 Mリーグでは発足当初からすでに「違法賭博との決別(ゼロギャンブル宣言)」を掲げた活動を行っています。 実際、麻雀と言えばギャンブル、イカサマ、こわもての男性の娯楽といった負のイメージがあるのも事実です。 Mリーグではそれを払拭するとともに、オリンピックの正式種目化を目指す上でも欠かせない宣言として、ゼロギャンブル宣言は重要な意味合いを持っています。 また、参加チームの拡大を目標に高額な賞金(優勝5,000万円、2位2,000万円、3位1,000万円)を設定していることも特徴です。 実際、大和証券や朝日新聞、日清食品など大手企業からも協賛を受けており、参加チームにも十分な報酬が得られるようになっています。 次に参加チームを見ていきましょう。 参加チーム一覧(カッコ内は読み方とオーナー企業) 1・赤坂ドリブンズ(博報堂DYメディアパートナーズ) 2・EX風林火山(テレビ朝日) 3・KONAMI麻雀格闘倶楽部(コナミマージャンファイトクラブ、コナミアミューズメント) 4・渋谷ABEMAS(しぶやアメバズ、サイバーエージェント) 5・セガサミーフェニックス(セガサミー) 6・TEAM RAIDEN/雷電(チームらいでん、電通) 7・KADOKAWAサクラナイツ(カドカワサクラナイツ、KADOKAWA) 8・BEAST Japanext(ビーストジャパネスクスト、ジャパネットブロードキャスティング) 他のプロリーグと異なり、全て在京のチームです。 これは全ての試合会場(対局会場)が東京の港区(日の出駅そば)に設けられる専用スタジオ「Mリーグスタジオ」で行われるからです。 なお、「1チーム4名構成」「男女混合」という原則でチームが構成されているのも特徴として挙げられます。 Mリーグについて:選手もハイレベル Mリーグに参加する選手は、いずれもハイレベルの選手ばかりです。 具体的には、次のプロ団体に所属している実力派のプロ雀士をドラフト会議で指名するという形式を取っています。 ・最高位戦日本プロ麻雀協会(最高位戦) ・日本プロ麻雀連盟(連盟) ・日本プロ麻雀協会(協会) ・麻将連合-μ-(麻将連合) ・RMU(リアル麻雀ユニット) 伝統的な組織から新興の実力派団体まで様々ですが、いずれの団体もプロ雀士として活躍するには相当な実力が求められています。 その中からえりすぐりの雀士たちが活躍することから、Mリーグでもハイレベルな麻雀を観戦できるのが特徴です。 一般麻雀と別物?Mリーグのルール リーグ戦という以外にもMリーグはルール面で一般的なプロ麻雀と大きく異なります。 その大きな違いといえるのが次の4つの点で、一般的なプロ麻雀よりもさらに透明性や分かりやすさでインパクトがあります。 審判を起用 Mリーグルール最大の違いは、一般的な麻雀とは異なり審判制が採用されていることです。 審判は、一般社団法人Mリーグ機構の認定者のみが務めるルールで、対局を公平かつスムーズに進める役目があり、第三者の目で透明性のあるゲーム進行を可能としています。 審判は対局における最終決定者としても重要な役割を果たしてもいます。 麻雀の対局中に起こった疑義に対する裁定をはじめ、対局の中断や再開、さらに終了の権限を持っており、Mリーガーは選手審判の決定に必ず従わなければなりません。 赤牌/一発/裏ドラ 赤牌・一発・裏ドラの採用も一般的な麻雀と異なるルールです。 まず、赤牌とは、赤く塗られている牌(5萬や5筒、5索)を指し、一般ルールではドラ(アガリの点数が高くなる特殊な牌)として認められていませんが、Mリーグではドラとして扱われます。 一発は、 リーチ後に1巡以内でアガる行為を言い、1翻(役がついて得点が2倍になること。)が加算されるルールです。 裏ドラは、ドラ扱いが増えるルールを言います。 ドラ牌の下の牌を利用してリーチでアガった際に持っていると、これもドラ扱いになるというものです。 このように加算される要素が増えることで、偶発的な要素が増し、ドラマティックな逆転勝利といった事が起こります。 トビなし トビなしもMリーグのルールです。 これはトビ(強制終了)となることがないルールを意味し、持ち点0点以下のプレイヤーが出た際に、対局が強制終了するトビをなくすことで最後まで続くルールを言います。 これによって土壇場での大逆転が起こるケースも少なくありません。 チョンボの厳罰化 チョンボとは、ルール違反や間違いを起こす行為です。 もともとプロであるMリーガーがそのようなことをするケースはありませんが、わざと行って流れを変えるようなことをするプロ雀士がいるのも事実です。 Mリーグでは正確なプレイを行う意味で次の行為をした場合、20ポイントの減算が定められています。 ・競技の継続を不可能にする行為 ・点棒の授受が終わらないうちに山を崩す行為 ・不正なアガリ宣言や手牌の公開 など スタート時点での持ち点は25ポイントなので、故意でなくとも行ってしまうと大変な痛手となります。 このように偶発性と透明性、そして正確なプレイを披露するのがMリーグのルールの特徴です。

  • 麻雀ゲーム
  • 2024年03月06日

【麻雀団体紹介】麻将連合‐μ‐について

元最高位日本プロ麻雀協会の井出洋介が1997年4月に設立した競技麻雀のプロ団体として知られています。 独特の名称である「麻将」とは、金銭を賭けない純粋に競技としての麻雀を指しており、呼び方は「マージャン」と発音するのだそうです。 現在存在する麻雀プロ団体の中でも、プロとして入会するのがかなり難しいことで知られており、その選抜方法が2段階方式である事も有名です。 選抜方法として、「ツアー試験」と称する試験を開催し、雀士をツアー選手として採用した後、一定の要件を満たした人をプロ認定するというものです。 相対評価ではなく、絶対評価方式であるということで、要件を満たす人間が居なければ採用者0名の場合もあるとされています。 麻将連合‐μ‐の理念面 公式ホームページには 「私たちは、マージャンをギャンブルとしてではなく、最高の室内ゲームとして、競技として、そして文化として愛するものです。囲碁・将棋やプロスポーツとして社会的ステータスの獲得を目指します」 とまず最初に表記されており、他の麻雀団体と同様に、麻雀の社会的地位、扱いの向上を目指している点が特徴です。 また、麻雀団体が集結して、他団体同士が保有している独自ルールなどもすり合わせ、一つのものにしようという考えを持っており、同じ志を持つのであれば一つの目的に向かって一致団結しようという考え方を持っていることでも知られています。 マージャン愛好家が集う一流の団体を目指しているということですが、既にその体を為しているとも言えるでしょう。 麻将連合‐μ‐の主なタイトル 所属雀士同士の練磨向上を目指すと共に、同連合が目指すマージャン文化の普及拡大、地位向上を目指して、主に以下のタイトル戦や大会を設けています。 ・将王 ・BIG1カップ ・M1カップ ・μカップ ・インビテーションカップ ・レディースオープン ・チャンピオンシップ ・道場対抗戦 育成基盤について 麻将連合‐μ‐ではプロ養成のカリキュラムが存在しており、同連合のスタッフ陣が記録、整理牌譜の方法や、ルール、マナー、ゲーム内における戦術、戦略などを学ぶ育成基盤が存在しています。 受講費用が一般会員5000円(μ会員は4000円)との事で、連合が保有している道場で受講ができるようになっています。 基本的に一度に受講できる人数が定員12名とされています。 公式ホームページには、育成会における基本的な年間スケジュールが表記されており、その育成会では何が学ぶことができるのか、概略が記載されているので、自分が関心のある育成会の日に参加することが出来るようになっています。 ツアーライセンス取得審査 同連合でプロになる為のツアーライセンスを取得するための試験が年2回開催(基本的には4月10月の第一日曜日とされている)されます。 試験内容として、筆記試験(マージャンにかんする問題、点数計算、多面待ち、テンパイチャンス、その他基礎的な知識に関するもの)と一般教養問題、小論文の提出も求められます。 筆記が終われば実技試験も実施され、最後に面接試験で、試験のサイクルが完了します。 見事合格することができれば、ツアーライセンスを獲得することができます。 その後、ツアーライセンスで同連合に認められることにより、見事、麻将連合‐μ‐の所属プロ雀士となることができます。 主な所属雀士 ここからは麻将連合‐μ‐に所属する主な雀士を紹介させていただきます。 1.井出 洋介 まずは麻将連合‐μ‐の現GM(前代表)を務めている、井出 洋介について紹介させていただきます。 幼少期、井出の父が麻雀に親しんでいたことがきっかけとなり、麻雀との縁がスタート。 中学、高校生の頃には友人に麻雀を教えるレベルにまで到達していたと言います。 麻雀により地頭が鍛え上げられたのか、東京大学へ進学しました。 そして、大学2年生の頃に競技麻雀と出会い、その影響で卒業論文も「麻雀の社会学」という題名で提出し、見事卒業しています。 大学卒業後はプロの雀士として活動していましたが、それだけで生計を立てるのが難しく、塾の講師、雀荘で働くことで何とか生計を立てていましたが、プロとしての実力が知られてくる中で、原稿依頼の増加、麻雀教室の講師依頼など、徐々に仕事が増加する中で、井出洋介という雀士の名が、麻雀界隈で広まっていきました。 競技麻雀を社会に普及拡大したいという想いはこの頃から強かった様で、最高位戦日本プロ麻雀協会の代表を務めた後、1997年4月に麻将連合-μ-(ミュー)を設立し、10年間代表を務めました。 その後はGMとして活動すると共に、日本健康麻将協会でも代表、特別代表を担い、今は「賭けない麻雀」「健康な麻雀」「親子で楽しめる麻雀」という麻雀のイメージの改善を目指して、スーパーバイザーとして活動を続けています。 プロ雀士としての実力も確かなものでしたが、65歳を迎えた2021年2月15日に認定プロからの引退を決意し、その後は功労選手として活動を続けています。 2.小林 剛 1996年に同連合に入会したプロ雀士です。 現在はMリーグのドラフト指名を受けるなど、活躍の場を拡大しています。 小林と麻雀との出会いは高校1年生の頃に遡りますが、クラス内で流行していた麻雀に関心を持ち、少しずつ没頭するようになります。 その後、東京理科大学理学部数学科に入学し、アルバイト先の雀荘が、日本麻雀最高位戦(現在における最高位日本プロ麻雀協会)におけるAリーグの会場であったこともあり、競技麻雀に強い関心を持ち、同大学2年生の頃に若干19歳で最高位戦の奨励会に入会した後、すぐに同協会のテストに合格して、21期生のプロとして見事プロ雀士の資格を得ました。 しかしその後、麻将連合‐μ‐の代表井出洋介による同連合設立に伴い、最高位日本プロ麻雀協会から麻将連合‐μ‐に衝撃の移籍を果たしたことで知られています。 ただ当時は、20歳そこそこでよく分からないまま誘われての移籍だったとの事です。 2003年に同連合のプロ認定を受け、その年に第3回野口恭一郎賞を受賞したり、2005年には将王戦初優勝を飾り、見事初タイトルの獲得を果たしています。 2011年には天鳳名人戦を制すなど、歴戦の強者として知られています。

  • 麻雀Tips
  • 2024年03月02日

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