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【麻雀人物伝】北の雄と呼ばれた雀鬼!畑正憲(はた まさのり)の麻雀エピソード

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冒頭のタイトルで強い違和感を覚えた人は、麻雀にあまり詳しくない人かもしれません。
ムツゴロウ王国など動物の大好きなおじさんというイメージが強いムツゴロウさんこと畑正憲は、麻雀と全く縁のない雰囲気を醸し出しています。
いつもにこやかに動物と戯れる姿や東大出身のインテリという経歴と麻雀とはつながりが薄く感じられるでしょう。

しかし、畑正憲の別の顔は雀鬼、つまり麻雀の雀士としても一流の存在として、日本の麻雀界に大きな功績を残してきた一大人物でもあります。
今回はムツゴロウさんこと畑正憲の麻雀エピソードについて解説しましょう。

畑正憲と麻雀との出会い

畑正憲と麻雀との出会い
畑正憲は1935年(昭和10年)福岡県福岡市で生まれたのち、大分県に引っ越して地元の名門校を優秀な成績で卒業、東京大学理学部に進学して大学院で動物学を修めた人物です。
さらに卒業後は学研に入社して教材制作をしていたという経歴から、どことなくアウトローの多い印象の麻雀界では異色の存在と言えるでしょう。

そんな畑正憲が麻雀と出会ったのは、意外にも大分県にいた頃です。
当時高校2年生だった畑正憲は、兄に麻雀の手ほどきを受けました。
この時からすでに動物への興味と共に麻雀への興味も沸き起こり、その後の人生を左右するまでになっていったのです。
学生時代には徹夜麻雀も行うようになりました。

この徹夜麻雀は、のちに畑正憲の得意分野となり、ムツゴロウ王国では誰かが倒れるまで麻雀を打つことがよくあったようです。
徹夜麻雀は徐々に睡魔や疲労で判断力が鈍っていき、正確な麻雀を打てなくなることがしばしばです。
しかし、畑正憲はそういった環境下でも正確な麻雀を打ち続けることができたことから、いかにタフな雀士であるか分かるでしょう。

ただ、単に麻雀を趣味としていたのではなく、心の支えでもあったようです。
畑正憲は、長年の無理がたたったのか、若干39歳にして胃がんにかかってしまいます。
その際、胃を全摘出するほど重度のがんだったようで、さすがにいつ再発するか分からないという恐怖や不安と向き合っていたようです。

しかし、その恐怖や不安を打ち破ったのが麻雀です。
麻雀を打ち続けていると恐怖や不安が和らぎ、麻雀に没頭することでがんサバイバーが持っている恐怖を緩和し、前向きに生きる活力を与えられたと言われています。
その没頭は異常ともいえるもので、当時は10日間不眠不休で麻雀を打ち続けたとも証言しています。
もともと集中力も高く、東大に行くほどの頭脳の持ち主だった畑正憲が麻雀にのめり込んだことで、その実力は途方もないものへと消化していきました。

畑正憲の実力は?

畑正憲の実力は?
畑正憲の麻雀の実力は、一般的な雀士をはるかに凌駕しています。
単にタレントとして、たしなみ程度に麻雀を打っているというわけでなく、プロ雀士としても生計を立てられたのではというレベルです。
さらに雀鬼と呼ばれるような雀士すら超える実力であったと言え、勝利したタイトル、打ち負かした雀士、麻雀界に与えた影響から、その実力が垣間見えます。

まず、畑正憲が獲得した主なタイトルを挙げていきましょう。

九段(日本プロ麻雀連盟)

日本プロ麻雀連盟は日本の麻雀競技団体でも最大の規模を誇ります。
ここで最高位の九段を取得していることから、この時点で一般的なプロ雀士よりもレベルが高い雀士であることが分かるはずです。
なお、この認定には「入団テストを実施するよう提案したとき、自分もそれを受けて九段の人間に圧勝し、九段と認定された。」というエピソードがあります。

簡単に倒したような表現をしていますが、九段クラスの雀士に対して一般の雀士はまず勝てません。
ましてや趣味レベルでは不可能といえ、既に畑正憲はプロ雀士を優に超える実力を持っていたことがうかがえるエピソードです。

十段戦3回優勝

十段戦は、九段の雀士が集まって一番強い相手は誰かを決定するために創設されたものです。
もともと連盟では九段が最高位であり、それを超える十段は誰かという畑正憲自身のアイデアがもととなって創設され、現在でも同連盟最高のタイトル戦の一つとして開催されています。
このタイトル戦で3回優勝していることから、プロとしても十分な実力を持っているといえるでしょう。

雀魔王戦連覇

雀魔王戦は日刊ゲンダイの主催で行われていたタイトルです。
不眠不休で半荘(ハンチャン)50回を打ち続けるタイトル戦で、簡単に言えば麻雀50ゲームを繰り返す非常に過酷な麻雀として文字通り徹夜麻雀のような展開です。
ここでも畑正憲は連覇するなど、そのタフさは折り紙付きと言えます。

さらに70歳を超えたのちも日本プロ麻雀連盟主催 第一回麻雀トライアスロン・雀豪決定戦に出場し、決勝卓まで生き残るという健在ぶりを示しています。

畑正憲は多くのプロ雀士を打倒してきたことでも知られている人物です。
実はその中の一人に雀聖と呼ばれた、あの阿佐田哲也も含まれており、生涯に何度か対戦して全て料理するという信じられない記録を打ち立てています。
さらにその阿佐田哲也は、その実力を的確に評価し雀鬼ベストテンに畑正憲を記載します。
さらに「北海の雄」という冠名を文中で与えていることから、いかに畑正憲が相当な実力者であったかが分かるはずです。

このように動物好きの人気タレントという顔とは裏腹に雀鬼としての畑正憲は、麻雀界にも貢献します。
その知名度を生かして麻雀に関する著書を執筆し、麻雀の認知度拡大に貢献したほか、先ほど紹介したタイトルを含めて次のような功績を残しました。

・昭和麻雀十傑の創設
・十段戦の創設
・タイトル戦「最高位戦」の創設

有名雀士でさえ、この1つでも一生涯に残せれば一流といえるような麻雀界で3つも残した功績は、プレイヤー(雀士)としての畑正憲のほかに麻雀界の功労者という一面もあります。

畑正憲のプレイスタイルは?

畑正憲のプレイスタイルは、ち密に計算されたプレイのようです。
もともと頭脳明晰の畑正憲は、常に計算をしたうえでプレイしていたようで、役満をよく和了することが証言されています。
また、地和で国士無双を和了するなど驚異的なこともやってのける器用さを兼ね備えていました。

さらに繰り返しになるものの、とにかくタフなプレイを得意とし、徹夜麻雀を繰り返し行うなど長丁場に強い人物と言えます。

なお、プレイスタイルとは異なりますが、動物好きおじさんのイメージを損ねる可能性があったことから、テレビの麻雀対局にはほとんど出場したことはありませんでした。

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