麻雀散歩

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【麻雀団体紹介】麻将連合‐μ‐について

  • 麻雀Tips

元最高位日本プロ麻雀協会の井出洋介が1997年4月に設立した競技麻雀のプロ団体として知られています。
独特の名称である「麻将」とは、金銭を賭けない純粋に競技としての麻雀を指しており、呼び方は「マージャン」と発音するのだそうです。

現在存在する麻雀プロ団体の中でも、プロとして入会するのがかなり難しいことで知られており、その選抜方法が2段階方式である事も有名です。
選抜方法として、「ツアー試験」と称する試験を開催し、雀士をツアー選手として採用した後、一定の要件を満たした人をプロ認定するというものです。
相対評価ではなく、絶対評価方式であるということで、要件を満たす人間が居なければ採用者0名の場合もあるとされています。

麻将連合‐μ‐の理念面

麻将連合‐μ‐の理念面
公式ホームページには
「私たちは、マージャンをギャンブルとしてではなく、最高の室内ゲームとして、競技として、そして文化として愛するものです。囲碁・将棋やプロスポーツとして社会的ステータスの獲得を目指します」
とまず最初に表記されており、他の麻雀団体と同様に、麻雀の社会的地位、扱いの向上を目指している点が特徴です。
また、麻雀団体が集結して、他団体同士が保有している独自ルールなどもすり合わせ、一つのものにしようという考えを持っており、同じ志を持つのであれば一つの目的に向かって一致団結しようという考え方を持っていることでも知られています。

マージャン愛好家が集う一流の団体を目指しているということですが、既にその体を為しているとも言えるでしょう。

麻将連合‐μ‐の主なタイトル

麻将連合‐μ‐の主なタイトル
所属雀士同士の練磨向上を目指すと共に、同連合が目指すマージャン文化の普及拡大、地位向上を目指して、主に以下のタイトル戦や大会を設けています。
・将王
・BIG1カップ
・M1カップ
・μカップ
・インビテーションカップ
・レディースオープン
・チャンピオンシップ
・道場対抗戦

育成基盤について

麻将連合‐μ‐ではプロ養成のカリキュラムが存在しており、同連合のスタッフ陣が記録、整理牌譜の方法や、ルール、マナー、ゲーム内における戦術、戦略などを学ぶ育成基盤が存在しています。
受講費用が一般会員5000円(μ会員は4000円)との事で、連合が保有している道場で受講ができるようになっています。
基本的に一度に受講できる人数が定員12名とされています。

公式ホームページには、育成会における基本的な年間スケジュールが表記されており、その育成会では何が学ぶことができるのか、概略が記載されているので、自分が関心のある育成会の日に参加することが出来るようになっています。

ツアーライセンス取得審査

同連合でプロになる為のツアーライセンスを取得するための試験が年2回開催(基本的には4月10月の第一日曜日とされている)されます。

試験内容として、筆記試験(マージャンにかんする問題、点数計算、多面待ち、テンパイチャンス、その他基礎的な知識に関するもの)と一般教養問題、小論文の提出も求められます。
筆記が終われば実技試験も実施され、最後に面接試験で、試験のサイクルが完了します。
見事合格することができれば、ツアーライセンスを獲得することができます。

その後、ツアーライセンスで同連合に認められることにより、見事、麻将連合‐μ‐の所属プロ雀士となることができます。

主な所属雀士

主な所属雀士
ここからは麻将連合‐μ‐に所属する主な雀士を紹介させていただきます。

1.井出 洋介

まずは麻将連合‐μ‐の現GM(前代表)を務めている、井出 洋介について紹介させていただきます。

幼少期、井出の父が麻雀に親しんでいたことがきっかけとなり、麻雀との縁がスタート。
中学、高校生の頃には友人に麻雀を教えるレベルにまで到達していたと言います。
麻雀により地頭が鍛え上げられたのか、東京大学へ進学しました。
そして、大学2年生の頃に競技麻雀と出会い、その影響で卒業論文も「麻雀の社会学」という題名で提出し、見事卒業しています。

大学卒業後はプロの雀士として活動していましたが、それだけで生計を立てるのが難しく、塾の講師、雀荘で働くことで何とか生計を立てていましたが、プロとしての実力が知られてくる中で、原稿依頼の増加、麻雀教室の講師依頼など、徐々に仕事が増加する中で、井出洋介という雀士の名が、麻雀界隈で広まっていきました。

競技麻雀を社会に普及拡大したいという想いはこの頃から強かった様で、最高位戦日本プロ麻雀協会の代表を務めた後、1997年4月に麻将連合-μ-(ミュー)を設立し、10年間代表を務めました。
その後はGMとして活動すると共に、日本健康麻将協会でも代表、特別代表を担い、今は「賭けない麻雀」「健康な麻雀」「親子で楽しめる麻雀」という麻雀のイメージの改善を目指して、スーパーバイザーとして活動を続けています。

プロ雀士としての実力も確かなものでしたが、65歳を迎えた2021年2月15日に認定プロからの引退を決意し、その後は功労選手として活動を続けています。

2.小林 剛

1996年に同連合に入会したプロ雀士です。
現在はMリーグのドラフト指名を受けるなど、活躍の場を拡大しています。
小林と麻雀との出会いは高校1年生の頃に遡りますが、クラス内で流行していた麻雀に関心を持ち、少しずつ没頭するようになります。

その後、東京理科大学理学部数学科に入学し、アルバイト先の雀荘が、日本麻雀最高位戦(現在における最高位日本プロ麻雀協会)におけるAリーグの会場であったこともあり、競技麻雀に強い関心を持ち、同大学2年生の頃に若干19歳で最高位戦の奨励会に入会した後、すぐに同協会のテストに合格して、21期生のプロとして見事プロ雀士の資格を得ました。

しかしその後、麻将連合‐μ‐の代表井出洋介による同連合設立に伴い、最高位日本プロ麻雀協会から麻将連合‐μ‐に衝撃の移籍を果たしたことで知られています。
ただ当時は、20歳そこそこでよく分からないまま誘われての移籍だったとの事です。

2003年に同連合のプロ認定を受け、その年に第3回野口恭一郎賞を受賞したり、2005年には将王戦初優勝を飾り、見事初タイトルの獲得を果たしています。
2011年には天鳳名人戦を制すなど、歴戦の強者として知られています。

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